会社の近くにドブ川が流れている。淀んでいて、生臭くて、いつ見ても同じコンビニのビニール袋と赤いコカコーラの缶が浮いている。橋のたもとには浮浪者の溜まり場になっている公衆便所があって、まさか垂れ流しているわけでもないけれど、この水を飲んだらと考えてゾッと身を震わせながら出社するのが習慣になっていた。
川は渋谷駅に向って流れ、そして山下書店の手前で地下に潜って見えなくなる。
「渋谷の街の下には巨大暗渠が存在してるんですよ」
ふと思いついて川の名前を尋ねた私に、そう教えてくれた物知りな同僚のHさんの言葉がこの取材を始めるきっかけになったのは言うまでもない。
「もうかれこれ十年ぐらいになるんでしょうかね」
インタビューに答えてくれたMさん(52)は、温厚そうな紳士で、地上では(暗渠の住人は私たち一般の人間が住む世界をそう呼ぶ)ペットショップを経営していたらしい。量は少なくなっているが黒々とした髪をきちんと整髪料で整え、アイロンのかかった半袖のワイシャツを着ていた。
暗渠という言葉から真っ暗闇を想像していた私にとって、ほの明るく清潔感のあるMさんの住環境はおどろき以外の何物でもなかった。またこの取材をするにあたり覚悟していた悪臭もなく、近くのドラッグストアで購入した虫よけスプレーもただの嵩張る荷物で終わりそうだった。しかしもちろんこの場所が快適かというとそういうわけででもなく、水の中に大量に投下された消毒薬の刺激で両目は涙ぐんでいたし、また普通では考えられない高さの湿度で発生したカビのせいか肺が心なしか痛かった。
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